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2021 年3月、
東海道五十三次 平塚宿のもう片方の江戸見附が復元され、
2001年に復元されていた江戸見附とあわせ
一対が完成となりました。
江戸見附が本来どこに築かれていたのかは明らかになっていないそうです。
今回20年ぶりにもう片側が復元されたのは、
これまで駐車場だったこの一角が再開発されスペースができたからです。
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2001年に復元された江戸見附→
2021年に復元された江戸←見附
↑上の写真は歩道橋から東方(江戸方)を、
↓下は西方(上方)を撮ったものです。
江戸見附は平塚宿の東の入り口です。この写真の手前に両見附が復元されています。
見附から西に向かって(大磯方面)、平塚宿の街並みが続いていました。
正面奥に見えるのは、大磯との間にある高麗山(こまやま)です。
右手前に2001年に復元された平塚宿江戸見附があります
↓
2001年に復元された東海道五十三次
平塚宿の江戸見附
2021年3月27日撮影
2001年11月、東海道宿駅制度400年記念事業として、平塚宿の江戸見附は復元されました。
復元に至ったきっかけは、1877(明治10)年から4年間ほど駐日イタリア全権公使を務めたラッファエーレ・ウリッセ・バルボラーニ伯爵(1818-1900)がイタリアに持ち帰った日本全国の膨大な写真アルバムが、アブルッツォ州の個人宅で発見され、2001年、完全復刻版『大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖』(マリサ・ディ・ルッソ 石黒敬章 監修)として平凡社から刊行されたことにありました。
それでは、いったいどのようにして、長い間イタリアの地方都市の個人宅に眠っていた写真アルバムが、21世紀はじめの日本でふたたび世に出ることになったのでしょう。
以下、主に『大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖』(以下『写真帖』)所収の、マリサ・ディ・ルッソ、高田和文訳「駐日イタリア公使バルボラーニと明治の日本の未公開写真アルバム」・石黒敬章「バルボラーニ・アルバム探検記」より紹介します。
復元のもととなった右上の写真を*当時所蔵されていたマリサ・ディ・ルッソ氏(東京外国語大学客員教授)は、もともとは日本の歴史の研究者で、1970年代から東京でイタリア語を教え始めました。1980年代、休暇で出身のペスカーラ市に帰郷すると毎回、市内に住む女性の方から、うちに日本の品々があるから見てほしいと電話をもらっていたのだそうです。
*現在は、日本カメラ博物館が所蔵
とはいえよくある話とあまり気乗りせず、ようやく訪れたのは数年後。
すると、招き入れられた広間は「まるで博物館のように、文字通り日本の品々で埋め尽くされ」「私はあまりのすばらしさにびっくりした」。
聞けば、その女性はバルボラーニ伯爵の遠縁にあたる方だそうで、それからディ・ルッソ氏は伯爵ゆかりの品々を調べに足しげく通い、ついに、引き出しのひとつから『PHOTOGRAPHIC/COLLECTION OF/JAPANSE VIEWS』 を見出します。
↑ママ
「近代国家に向けて急速に変貌を遂げつつあった」明治初頭の「日本全国の風景を写した最古のアルバム」の再発見でした。
1881年にイタリアに渡り、やがて忘れ去られてしまっていた写真アルバムは、100年ののち日本の歴史研究とイタリア語に深く関わるディ・ルッソ氏に託されました。
当時、このアルバムの存在をディ・ルッソ氏より知らされた石黒敬章氏(古書研究家)は、アルバムの一部ではなく、1268枚すべての完全な復刻版の刊行を望み、好機を待ちました。
そして1990年代後半、平凡社が刊行した自著を含む古写真の本2冊が好評を博すと、満を持して担当編集者にアルバムの企画を提案。同社はアルバムの復刻を決め、全国各地の専門家に当該写真の解説執筆を依頼しました。
ここで、平塚宿の江戸見附復元につながる直接の幸運が起きます。
平塚、大磯など近隣の写真解説を平凡社から依頼されたのが、当時の平塚市博物館の学芸員だったのです。
送られてきた写真を吟味しながら、「大住郡平塚松並木」と付記された写真の両脇の石垣を見て、これは平塚宿の江戸見附ではないかと気づき、
その後、東海道宿駅制度400年記念事業の話が持ち上がると、江戸見附を復元したらどうかと提案しました。
この提案が、地元見附町の平塚宿まちなみ景観協議会(くわしくは、市HP まちづくり政策課ページ 景観重点区域 歴史軸の取組み でご覧ください)の会議で承認され、2001年に復元に至りました(同協議会会員で現見附町自治会会長の吉川成子しげこさん談)。
平塚市博物館HP『あなたと博物館』2001年11月号で、新世紀ひらつかルネッサンス事業 東海道宿駅制度400年記念 巡回展「二宮・大磯・平塚を結ぶ道-東海道-」案内(大磯町郷土資料館との共催)で、「明治14年頃の平塚宿江戸見附」の写真とキャプション、東海道の成り立ちについてもご参照ください。
偶然と幸運が重なり、関係者の熱意と見識から、2001年11月、東海道宿駅制度400年記念事業として平塚宿江戸見附がよみがえり、20年後、道路向かいの土地が再開発された折に、もう片方も復元され一対の江戸見附が完成しました。
※『大日本全国名所一覧 イタリア公使秘蔵の明治写真帖』(マリサ・ディ・ルッソ 石黒敬章監修、2001年、平凡社刊)は、平塚市中央図書館で貸し出ししています。ぜひお手元でご覧ください。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
2022年3月末、マリサ・ディ・ルッソ氏が逝去されました。
謹んで哀悼の意を表します。
同氏が創設された「にっぽんアブルッツォ協会」Facebookページ4月1日ご投稿を
シェアさせていただきます。同協会HPはこちらから
にっぽんアブルッツォ協会の幹事はじめ全員が、親愛なるマリーサ・ディ・ルッソ会長の逝去を悼み、お近しい方々と悲しみをともにいたします。
マリーサ、あなたはこの協会の設立を誰よりも強く望み、あなたの変わらぬご指導のおかげで、協会はこの地域の日本文化愛好家すべてにとって指標ともいえる存在にまでなりました。
あなたは私たち全員にとってすばらしいお手本でした。あなたが教えてくれたすべてを忘れません。どうぞ、やすらかな旅立ちを。
最後にもう一度お別れを言いたい人のために、葬儀は明日15:00にペスカラのピアッツァアルシーネの教会で行われます。
「annuncifunebri」HPへ
delloiacono COMUNICA YouTubeチャンネル 2020年11月18日ご投稿
Marisa Di Russo, presidente Centro Studi A. Valignano - Stills of Peace 2020 "Italia - Giappone"
Sentite e sincere condoglianze.
2021年4月9日、江戸見附の清掃作業をしてくださっている江戸見附緑地公園愛護会(会員約20人)の方々にお会いできました。
当番制でそれぞれ都合のよいときに作業されているそうですが、週に何度も通われる方もいらっしゃるそうです。四季を通じての大変なお手入れありがとうございます。
公園愛護会については、市HP みどり公園・水辺課ページ「平塚市公園愛護会」 をご覧ください。同ページに収められている
平塚市公園愛護会連絡協議会会報『Aigo ~愛護~』バックナンバーもぜひお読みください。
同連絡協議会の吉川成子理事(現、見附町自治会会長)が、
「見附台緑地コスモスの会 公園愛護会設立の動機」
第5号(2005年9月29日) に「江戸方見附について」を寄稿されています。
吉川さまには、2001年の復元当時の事情を教えていただき、江戸見附緑地公園愛護
会の取材で大変お世話になりました。ありがとうございます。
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